2011/03/12 まとめと感想

救世主ことすえぞーさん邸に泊めていただき、朝を迎えたところで現地の父親より電話。

そして、母・三男とも短い時間ではあったが話ができた。
家族の非難状況が確認できたことでとても安心した。


東京より北には進めないということで、京都へ戻ることに、
18きっぷを使う体力は残ってなかったので新幹線で15:30ころ帰宅。


その後は親戚や全国各地の同級生からの電話やメールを受け
TV情報、ネット情報を中心に、情報収集・発信に終始した。


福島第一原子力発電所からの距離が実家は約3.5kmだったので、うちの実家は
昨夜のうちに避難したが、10km・20kmと範囲が広がるにしたがって、避難所の数が増え、
避難所同士の連絡も難しいということで状況確認には時間がかかった。


現在も、11日の夜には避難したであろう次男の避難先はわからず。
おそらく会社単位で避難してると思われるが、これは明日を待つしかない。


また、報道で被曝者がいた双葉厚生病院の話があったが、
同級生の妹さんが看護師として働いており、被曝の話はあっても
どこに搬送されたかがANNの古舘さんの「二本松」という単語しかヒントがなく
私も今日の判明は諦めかけていたが、先ほど川俣町(二本松の西・田村市の北)
にいることが確認できたそうだ。メールであっても確認出できたことは大きい。



そして、個々の避難場所は不明のままだが、大熊町の全世帯の避難が確認
(同級生のメールでは22:30ころ、FNN系の報道では01:15ころ)できた。


以上が今日の流れ。以下は私見

携帯電話の普及

これが阪神・淡路大震災に比べ飛躍的に進化した点だと思う。
通常なら2・3日かかる固定電話復旧前に携帯電話やEメールで現地の情報が手に入る。
昔はNHK教育の安否確認を見続けるしかなかったが電波さえ入れば通信ができるのは大きい。

ネットの対応について

今回はNHKとFNNがニコ動やUSTを使っての放送を実施、
また、twitterでは非常に多くの情報が寄せられていた。

しかしながら、これによって劇的に被災が防げたかどうかは事後検証が必要だと思う。
今回の震災が東名阪で起こったら違うかもしれないが、私の感覚では仙台以外の
被災地域に住む方にとっては携帯メールを超えた知識を持つ方はまだまだ少ない。

現にうちの両親も伝言ダイヤルは知らずに、安全確認は電話だった。
インフラの整備、高年齢者への情報提供は今後の課題となると思う。

原発問題について

これは長くなるのでmixiで別に話題を出します。

明日以降の対応

こうやって揺れのない関西にいるだけでも歯痒いのだが、東京より北に向かえないので、
明日も知り合いの居場所確認と原発の状況を続けようと思います。