4/26 会津若松 7日目

毎日しんみりした話題も何なので今日は微笑むような話題を。


・旅館のロビーみたいなところで中学生と小学生が将棋を指している。
 知らない子供だったので声は掛けずにふらっと横を通ったら。
 小学生がボロ勝ちしてた。中学生ほぼ裸の王様状態(笑)
 しかも、詰ませ方を知らないのか持っている駒を使えば、
 絶対詰ませられる状況でその駒を自陣の守りに使ってる・・・
 泥仕合確定なので私は温かい目で通り過ぎた。


・避難所あるある1
 かわゆいおにゃのこがいない。
 たまに「お、かわいいな」と思ったら、ょぅじょだったりしがち。


・避難所あるある2
 うちの弟は服のサイズが3L〜4Lなので支援物資で服が並んでいても
 合うサイズがあるわけもなく、結局自腹でしまむらで買いがち。


・避難所あるある3
 福島県でTVを見ていると、どの局でも「ぽぽぽーん」よりも
 「猪苗代湖ズ」が流れすぎでそっちに洗脳されがち。


う〜ん。いま一つか。40点。

4/25 会津若松 6日目

会津での滞在もあっという間に後半になってしまった。
ここ2・3日で思ったことを備忘録程度にピックアップしておく。


・日々の流れは
 起床→朝食→午前の作業(役場、金融機関手続き、クリーニング等)
→昼食→東山地域を徒歩で他避難所に行きお話など→夕食→風呂→就寝
 かなり規則正しい生活になった。このリズムを今後も継続しないと。


・今日、ようやく5km圏内まで警察の捜索が入ったようだが、
 原発20km圏内の海岸近くの津波被害もかなり大きい。あと10分、
 30分遅かったら津波に巻き込まれていたという話もたくさん聞く。


警戒区域内への一時帰宅については賛否両論。
 賛成派の方はとにかく家がどうなってるか見たい。
 印鑑、通帳だけでも持ってきたいという意見。
 反対派はバスで集団で行っても車や大型家電は持ち帰れない。
 被曝量がわからない状態で行くのは危険すぎる。


・ちなみに、うちの家族は一時帰宅は希望しない模様。
 避難時にバスに乗れなかったので自家用車で避難できたことと、
 避難時に印鑑や通帳などの貴重品は全て持ち出すことができたため。


・三男は相変わらずJヴィレッジにある会社の施設で勤務中。
 こちらに来るまで勤務内容を知らなかったが、メディアでも
 取り上げられているような警察、消防、自衛隊に対する
 サーベイ放射線量測定)や除染作業に携わっているよう。
 TVで映ってもおかしくないが防護服を着ているため確認できず。^^;

4/22 会津若松 3日目

4/22 00:00より実家に帰ると行政処分で罰金や拘留される可能性があるゆっきーです。
今後ともごひいきの程よろしくお願いいたします(笑)


今日も両親と各避難所を回っていろいろ話をしてきた。
3日目にして、集めた情報量が多くなりすぎた・・・
大震災、大事件では当事者1人ひとりにドラマがある。


個人情報になってしまうものや真偽不明なものも多いので、
現地を離れてから客観的に見れる状況になってからまとめようと思う。


ここで書いてしまうと、実際に被災してない人間が被災者顔で
書いてしまい、リアリティが伝わらないと思うので・・・


なので、明日以降は新規で書こうと思うことが出来たら書く不定期更新型にさせてもらいます。



さて、今日は手足が不自由な伯父さんの入浴の手伝いをした。
ここにいる間はそれまで弟がやっていた事は自分でやっておこうと思う。
弟には短い期間だがちょっとでも身体を休ませてもらえれば。


しかし、絶対体重が俺より軽くなることがないと思っていた次男が、
体育館での避難所生活で16kg痩せて体重が逆転したのは実はショックだった。^^;

4/21 会津若松 2日目


上の画像は「ダブルГ字」という初めて見た映像。


NHKで東京から仙台に送られた電波にГ字で東北の情報を載せ、
仙台から福島に送られた電波にГ字で福島の情報を載せたというもの。


画像はデジタルなのでまだ見られるが、アナログだと
さらに小さくなるのでどれを見たらいいのやらという感じ(笑)



今日は午前中は銀行などの手続き回り、
午後は父親と各避難所を歩いて回って知り合い回り。


体育館での集団生活はもちろん辛かったが、
旅館で戸別の生活になると、近所の方や知り合いがバラバラに
なってしまい会話ができなくなるのが辛いようだ。


父親の知り合いなので年齢が上の方ばかりだが、
話をして時間を過ごすことが楽しいようでよかった。


また、温泉街なので坂道だらけで歩くだけで大分運動になる(笑)

4/20 会津若松 1日目


東京から新幹線で郡山へ。
平日の午前中だけど東京駅発の段階で乗車率は100%
本数の少なさと仙台への移動手段としては需要は多いのだろう。


一転、郡山からの磐越西線はガラガラ。
福島県内の移動手段はやはり電車よりも車なのは変わらない。


持参した物資を避難所へ持ち込み、
その後、両親と市内の支援物資受渡所へ。
上の画像はその受渡所の画像。


食料は各避難所へ送られているので、ここで支給されるのは
衣服やティッシュ等の日用品が中心。
衣服置き場の置くには簡易の試着室もあり細かな気遣いが。


今日1回だけ見た感想としては、震災直後に足りない足りないと
言われていた紙おむつや生理用品は充実していて、
女性用は多いが男性用の衣服は少ない感じがした。
まあ、1ヶ月経ったから震災直後とは違うのだろうが。


ボランティア活動は市内の方が多く参加しており、
もう人は十分らしい。^^; 荷物の運搬や介護など家族の手伝いに専念決定。


以下、雑感。


・TVはNHK、民放とも基本L字放送でライフライン情報や交通情報を流す。
・ただ、ACのCMは他地域と変わらず。「ポポポポーン」も変わらず(笑)
・市内に役場もあり、各避難所に伝言板や回覧板が回るので町からの情報は
 絶えず流れているよう。県外へ避難しない人が多いのもうなづける。
・各避難所へ人は別れたが、ある程度の範囲内にはあるので、
 住民同士のコミュニティは崩れていない。
 自分も知っている人とたくさん会って声をかけてもらった。ありがたい。
官房長官の記者会見で一時帰宅の話があったそうだが、
 現地では何のアナウンスもなく町にも連絡がないらしい、
 家族もあまりニュースは見たくないようなのでついさっき知った。
 官邸、保安院、東電の発表も自分から探さないと入らないようだ。



というわけで、今日から家族と避難所生活になります。
とはいえ、原発20km圏内に入れる可能性は低そうなので、
日々の変化は少なそうです。環境が肌で感じることができれば。

今後の予定のご連絡

今後の予定をご連絡

04/15(金) NMB48公演
04/16(土) 桜の木握手会兼NMBライブ&さやみる握手:大阪ドーム
04/18(月) 高速バスで東京へ → 八王子の親戚宅
04/19(火) 都内(予定なし) → 板橋の親戚宅
04/20(水) 新幹線で東京→郡山 磐越西線会津若松
04/20〜04/29 会津若松滞在
04/30(土) 磐越西線で郡山 新幹線で東京 総武本線で千葉
05/01(日) 桜の木握手会:幕張メッセ(盛り上げ役としての参加)
05/01〜05/04 千葉滞在(お世話になります)
05/04(水) ドリームモーニング娘。コン:中野
05/05(木) 高速バスで京都へ → 帰宅

会津若松

現在、家族含め大熊町民の多くが避難しているので、
まず最初の目的は家族に顔を見せること。

その他は正直言ってノープラン。
親戚関係や同級生、町役場の知り合いとも会う予定をしているが、
ボランティアを募集してれば参加するし、なくてもいろいろ手伝うつもり。
宿は避難所でザコ寝でいいし、それも無理ならマンガ喫茶や駅寝も覚悟。

可能性は低いが、期間中に一時帰宅が許されれば、それも手伝うつもり。

千葉

最大の目的は「AKB48だけで5日間テンションが保てるか」の検証(笑)
あとはいろいろお手伝いやよもやま話で盛り上がりたいと思います。

中野

最大の目的は「5年ぶりに藤本美貴で跳ぶ。」ただそれだけ(笑)


3.11以来1ヶ月、ようやく福島に行くことができます。
とはいえ、今回はおそらく中通り会津のみ。
できれば浜通りまで行って現状をみなさんにお伝えしたいが、
それを許してもらえるかどうかは行ってみないとわからない。


家族から依頼された物資(というほど大げさなものではないが)も少しずつ準備中。
食べ物や飲み物は第1次の支援物資として全国各地からご支援いただいているが、
家族として支援できるものは2次的なものが中心。
母親の介護用品がメインだけど、お菓子やタバコ、コーヒーなどの嗜好品も持っていく。
特にタバコは父親と弟からぜひにとの連絡があった。(笑)


福島へは約10日間の滞在になるが、現地でしかわからないものをお伝えできればと思う。
あ、福島から来た人は接触お断りなんて非科学的なこという人には
むしろこっちから接触していきますんで覚悟しておいてください(笑)

現地住民の家族として

これまで毎日のように報道されたニュースで思う事や反論したいことはいろいろあったが、
一つひとつに反応しててもキリがないと思い、日々スルー能力を高めてきたつもりだったが、
このニュースには正直物申したいと思った。


侵入した街宣車に文句を言うつもりはない。
故意に起こした犯罪なのだから捕まって罰を受ければいい。


しかし、街宣車が簡単に正門までいける状態だったというのは許せない。
どのルートを使ったかは知らないが、少なくとも地元の人間でなければ国道6号を使わずに第1→第2へ向かうルートはわからない。
(私は土地勘があるので別のルートも知っているが、それではないだろう。そのルートでは車で40分では着けないし、地元の人間ならガラガラの国道6号を使えば40分もかからない)


ということは、国道6号から第1、第2に繋がる最後の道に検問もなく、さらに言えば20km圏内に入る国道(6号or288号)は地元の人間であることを証明しなくても(もしくは口頭でウソをついても)通れてしまうということだ。


そんなに警備が手薄なら県知事が警戒区域にして完全立入禁止にして欲しいと言うのもうなずける。


これでは、鍵もかけずに着の身着のまま逃げてきた家の家財や店の品物は誰が保障してくれるのだろう。
もしかしたら、3週間経ってしまった今更こんなことを言ってもしょうがない状態なのかもしれない。


各町村は別地域への移転を進めているが、だったら本当に1回だけ、しかも制限時間ありでもいいから一時帰宅と家財の持ち出しを認めて欲しい。
多少の放射線は覚悟の上だし、戻る際に除染も衣服の処分も受ける。


とにかく国には何らかの基準や方策を決めて欲しい。
歯痒い気持ちのまま3週間が経ったがこれでは前にも後にも進めない。


第2原発街宣車侵入=県警、2時間後に確保−福島(時事通信
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa_date1&k=2011033101131&j4